安詳寺について
日蓮宗 長久山 安詳寺
閑静な住宅街に位置する長久山 安詳寺は、寛永6(1629)年に安詳院日憶上人により開山された日蓮宗のお寺です。古くから「赤門のお寺」として地域に親しまれ、現在も 御会式(おえしき)などの行事や大きな桜の木、涼やかな竹林は人々の 心の拠り所となっています。
概 要
山号 |
長久山 (ちょうきゅうざん) |
寺号 |
安詳寺 (あんじょうじ) |
通称 | 赤門のお寺 |
旧本寺名 | 小湊誕生寺 |
宗派 | 日蓮宗 |
旧寺格 | 脱師法縁 |
本尊勧請様式 | 一塔両尊四士 |
祖像 | 説法像(寛文9年=1669) |
仏像 | 鬼子母尊神、妙見菩薩 |
寺宝 | 紺紙白金泥妙法華経一部八巻折本(18世書写) 十羅刹女像掛軸(安土桃山時代) 一円院日脱上人曼荼羅本尊 |
創建 | 寛永6年(1629年) |
住職 | 第20世 小島知広 |
電話番号 | 03-3751-0220 |
住所 | 〒146-0085 東京都大田区久が原4-4-10 |
境内施設 | 本堂 寺務所 客殿 鬼子母神堂 墓地 永代供養墓 |
沿 革
安詳寺(あんじょうじ)は山号を長久山と号し、寛永6(1629)年11月に安詳院日憶上人により開山されました。堂宇ははじめ庵室程度のものでしたが、元禄年間(1688~1704)に第4世日照上人によって立派な堂宇が建立されました。この堂宇は大正15年(1926)に17世竜徳院日充上人によって大修復されましたが戦災を受け焼失しました。第18世日芳上人は昭和22年に約25坪の仮堂を再建し、その後昭和40年に第19世日明上人の発願で現在の堂宇が建立されました。
- 寛永5年(1816)の創立。開基安詳院日憶。
- 寛永5年当地に庵室を建立。元禄年間本堂建立。
- 大正15年に大改築を加えたが、昭和20年戦災のため全焼。40年本堂・山門・客殿・庫裡・鬼子母神堂と徐々に再建した。
- 6世浄恩院日亮は正覚院31世へ。
- 8世円悟院日長は飯高玄講301世へ。
- 9世寛中院日騰は飯高寺364世へ。
- 13世善苗院日貫は四谷戒行寺22世へ。
- 17世竜徳院日充は目黒立源寺25世へ。
縁起
新編武蔵風土記稿による安詳寺の縁起
(六郷領久ヶ原村)安詳寺境内除地6畝10歩。村の中央にあり、法華宗、房州長狭郡小湊誕生寺末、長久山と号す。寛永6年11月安詳院日憶と云僧の開山なり、開山の示寂は慶安5年4月2日なりと云。客殿5間に6間東向、本尊三宝祖師を安ず。門柱間1丈、長久山の額を掛。鬼子母神社。門を入て右にあり。2間四方。
「大田区の寺院」による安詳寺の縁起
当寺は寛永6年(1629)11月に安詳院日憶が開山した。はじめは池上本門寺の末寺で、当時の池上本門寺15世貫主日樹(1574-1631)は、不受不施の義を主張していた。当寺もこれに属していたため、幕府の禁圧するところとなり、本寺替えをせざるを得なくなり、小湊誕生寺の末寺にかわった。堂宇ははじめ庵室程度のものであったが、元禄年間(1688-1704)に4世経王院日照によって立派な堂宇が建立された。この堂宇は大正15年(1926)に17世竜徳院日充によって大修復されたが、戦災を受け焼失した。18世日芳は昭和22年(1947)5月に約25坪の仮堂を再建したが、昭和40年(1965)10月に現住の発願で現在の堂宇が建立された。境内にある鬼子母神堂には、天保年間(1830-44)に、6世日亮の弟子、貞心院日法が感得して勧請した鬼子母尊神が祀られている。